上田は、大正12年から映画ロケが行なわれてきました。今でこそ、新幹線や高速道によって、関東圏から近い場所になり、観光客も押し寄せていますが、昔は文字通りの日本のチベットのような不便きわまりない僻地でした。そんな上田に、当時の最先端の映画ロケがやって来た。自然が良い、歴史的風景が残っている、等々の撮影要素なんて、昔はそこいらじゅうにあったはず。それでは、何が上田の映画ロケに結びついたのか?と言うと、それは、何を隠そう(何も隠していないが!)住民の民度の高さではないだろうか?昔から上田は、ロケを嫌がらず、ロケに協力していたようだ。なぜか?それは、映画を観たいという欲求から、映画俳優に会いたい、という単純な興味に変わり、スタッフと話がしたいと変化してきたのだ。そうなれば、映画ロケをやるしかない。そこで、映画監督やスタッフと仲良くなる。ここまでくると、並大抵の努力では話が進まない。ここからが、上田の凄さになる。今よりも何倍も大変だった映画ロケを支援してしまおうと考えた。そして、実行。現在のフィルムコミッションのような活動を個人的に始めた人が出できた。ロケ場所を探し、許可をとり、備品を手配し、宿泊場所のタイアップを取り付け、エキストラを探す。今とまったく 同じ支援方法で、上田の住民はロケクルーを支援していたようだ。
こうした映画ロケ支援の代表的な人が、上田市塩尻で蚕種製造・販売を行なっていた馬場直次郎だ。直次郎は、仕事の関係で関東方面に行くと当時の映画の本境地・松竹大船に寄って、監督たちと話をしてきたという。中でも、当時の日本映画界の人気者・五所平之助監督とは家族ぐるみの付き合いをしていた。馬場家には、当時の五所監督と直次郎の交友を物語る手紙などがたくさん残されている。さらに、直次郎は、上田の映画ロケを成功させるために、ロケ環境を整備していた。ロケに貸す家、必要な時に気軽にボランティアで参加するエキストラ、安く泊めてくれる旅館、等々。直次郎の活躍は、当然のこととして映画界の話題になっていった。そして、ロケ隊が上 田に押し寄せた。トーキー映画の第一作を上田で撮った小津安二郎監督、処女作「姿三四郎」のロケ地を上田に選んだ世界のクロサワこと黒澤明監督、さらに、日本映画の巨匠がぞくぞくと上田にロケしに来た。映画の歴史が、上田には確実に残っている。日本映画史から上田を外すと成立しないような気もする。普段何気なく見ている風景が、実は映画の巨匠たちの作品に確実に刻まれているシーンなのだ。そんな目で、周りの風景を見ると一味違ったものが見えくるのではないだろうか。
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