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上田の民話

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上田の自然
 
映画のまち―上田
     


  黒澤明といえば、映画監督の代名詞になるほど世界的に有名な日本人の一人だ。黒澤監督は、撮影直前に理由も告げずにロケを中止して、千人のエキストラを帰してしまったり、1シーンの撮影に3ヶ月もかけた。撮影の邪魔になるからという理由で民間の家を壊してしまったり、製作に一ヶ月もかかったロケセットに対して、撮影前日に作り直しを命じた。などなど、映画界には数々の黒澤伝説が伝わっている。そんな黒澤が昭和17年、上田で初めての監督デビュー作「姿三四郎」をロケした。この映画には、当時の人気俳優、藤田進、大河内伝次郎、月形龍之介などが出演していたため、上田ではかなり話題になったという。しかし、黒澤監督については、市民は誰も覚えていない。まだ、トレードマークの黒眼鏡もなく、“天皇”と呼ばれるオーラもなかった。さらに、黒澤初回監督シーンは以外にも淡々としたものであったらしい。
  黒澤組一行は当時、別所温泉で宿泊。当時は、観光地といいながら、戦況の厳しさから宿泊客でも一人一本しか酒を出すことが認められていなかったという。ところが、酒好きの藤田は色紙にサインをしては酒と交換し、ついつい飲みすぎたために黒澤が激怒したなどという逸話も残っている。
  完成した「姿三四郎」は、戦況厳しい18年に東京中心に公開された。軍部から、戦争を賛美した映画しか上映が認められていない当時としては、この映画は異色なものだったようだが、旧満州にもフィルムが送られ、旧満鉄映画部で上映された記録がある。そして、旧ロシア軍侵攻により没収。フィルムは闇に葬られた。国内でも、終戦後、「姿三四郎」のフィルムは、アメリカ軍の検閲によってかなりな部分がカットされて、再上映されたらしい。これが、「姿三四郎」の悲劇だったが、10年ほど前、ロシアで旧満鉄映画部が没収したフィルムがみつかり、日本でもDVDで発売された。ようやく、オリジナルの「姿三四郎」が公開された。現在、場所がはっきり判らなくなってしまった上田の風景も入っている。間違いなく、黒澤のデビュー作は上田で撮影されていた。現在、市街地にある本陽寺山門やその前にある洗い場が当時の面影を残している。黒澤がここでメガホンを持って、藤田扮する三四郎と月形扮する桧垣の出会いの場を演出した。映画「博士の愛した数式」のロケで上田を訪れた小泉堯史監督と旧黒澤組のスタッフは、感慨深げに本陽寺山門の前に立ち、スクリーンでしか見たことがないが、時々黒澤の口から話題にのぼったという「姿三四郎」のシーンを回想していた。

 
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